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笑顔の実り。vol.032

たけむら まさしさん|78歳

千早赤阪村 森屋 竹村 仁さん

今も学び続ける ハウス栽培の先駆者

人生には、運命が大きく変わるターニングポイントがある。竹村さんに転機が訪れたのは、中学校を卒業してしばらく後のことだ。非農家出身の竹村さんは、学校を卒業したあと都会のケーキ屋に就職した。店に住み込み、商売のイロハを叩き込まれながら、毎日忙しく働いていたという。そんな中、とつぜん実家から「すぐに家に帰ってこい」と連絡がある。竹村さんが慌てて地元に戻ると、驚愕の事実を知る。知らない間に、親戚の畑を継ぐことが決定していたのだ。 「本当にびっくりした。実家に帰る間もなく、畑まで連れて行かれたからなあ。まさか、自分が農業をやることになるなんて」 突然、都会で働く日々が一変し、土と触れ合う生活が始まった。竹村さんは、就農した当時をこう振り返る。 「最初は何も分からなかったから、都会で働くより、農業は気楽やと思っとった。雨降ったら仕事せんでええし」 竹村さんは恥ずかしそうに笑う。もちろん、農業が本当に気楽な仕事かどうかは、その後よ~く思い知った。

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昔は一帯に61棟も並んだが、今は竹村さんのハウスを含め、数棟が残るのみ

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現在は次の栽培にむけて、ハウス内の土壌を耕している

ハウス栽培の先駆者

竹村さんがメインで育てているのは、ハウス栽培のナスやキュウリなどだ。なんと、ハウスは昭和48年(1973年)に建てたもので、今も現役。40年前のものとは思えないほど綺麗だ。竹村さんは「ハウスを建てるのは大変だった」と、懐かしそうに思い出す。 当時、村の役場で「ハウス建設に国から補助金が出る」ことを知った竹村さんは、数人の仲間に「やってみよう」と持ちかけた。竹村さんが農業を営む千早赤阪村はみかんの産地だったが、年々価格が下がっていた。危機感を感じた竹村さんは、ハウスを建ててイチゴ栽培を始めたいという思いがあった。 しかし、地元ではハウス栽培が普及していない時代。補助金が出るにしても、大きな投資をしてまでハウスを建てる竹村さん達を見て「おまえら無茶なことしよる。ハウスなんか組んで」と笑う人もいたそうだ。それでも、竹村さんは周囲の声に負けず、ややこしい補助金の申請をクリアして、ついにハウスを建設した。 「イチゴを作りはじめて順調に売り上げが伸びると、みんなの見る目が変わった。周りの人も一気にハウスを建てはじめて、びっくりしたわ」 竹村さん達がきっかけとなり、村に「ハウスブーム」が訪れたそうだ。今は数棟残るのみだが、当時は61棟ものハウスがずらりと並んだ。竹村さんは、村のハウス栽培の先駆者となった。

学び続けること

竹村さんは、農業で大切なのは「学び続けること」だと考えている。昔と今では気候が違うし、農業の技術は年々進歩している。昔のやり方に固執せず、時代に合った作り方を学ぶことが大切だ。そのため、JA大阪南の栽培講習会などに積極的に参加している。 「ただ、知識だけじゃなくて畑で学ぶことも大切。実際に試してみないと、分からないことも多いし。本だけ見て作る人もいるみたいやけど、本と現場はずいぶん違う。本の通りにいかないのが、農業の難しいところ」 知識として「知る」ことも、実際にやってみて「体験」することも、どちらも学ぶことには変わりない。いくつになっても、頭をやわらかく吸収し続けたいものだ。

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新規就農の難しさ

「息子がいるけど、無理に継がせようとは思わない。自由にやって欲しいと思ってるよ。一番いいのは農地を残していくことやけど、農業の情勢を考えたら無理強いはできない。農業だけで食べていくのは難しいからなあ」 竹村さんは、安易な新規就農にも疑問を抱いている。 「新しく就農した人と話す機会が多いんやけど、ちょっと甘いのでは?と思うこともある。すぐに上手くいくなら、農家の息子はみんな後を継いでるはず。簡単な気持ちで農業を始めるのはオススメできない。相当な覚悟を持ってやって欲しいし、そういう人なら応援したい」 厳しいようだが、長年農業にたずさわってきた竹村さんだから言える、重みのある言葉だ。

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