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笑顔の実り。vol.045

うえの あつおさん|79歳

羽曳野市 南恵我之荘 上野 淳夫さん

戦後を生き抜く

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戦後を生き抜く

「私が6歳のころに父が戦争で亡くなり、母は女手ひとつで育ててくれました」 上野さんは幼少時代を振り返り、当時のことを話してくれた。  「母は家族のために一生懸命働いてくれました。私も家計を支えるために、小学校4年生のころから畑に出て、忙しく働いていました。百姓だけでは食べていけないので、土木や植木の仕事をしたり、学校に行けないことも多かった」 今のように、便利な農機具が無かった時代だ。すべてが手作業で、牛を使って田を耕した。一生懸命作業をして、お腹がすいても、食べるのは豆や芋のおかゆばかり。戦後は日本全体が貧しく、上野さんいわく「原始時代のような」生活を送っていたそうだ。 「それでも辛いと思わなかったのは、百姓が好きだったから。学校で勉強するよりも、土に触れているほうが楽しかった。それに、手作業の大変な時期を知っていると、はじめて耕運機を使ったときの感動も大きかった」 上野さんの母は、60代の若さで亡くなられた。 「母には感謝しかありません。今の自分があるのは、母のおかげ」 戦後を生き抜き、家族を支え続けた母の姿を、今も鮮明に覚えているそうだ。

人と人

戦後の混乱から日本が立ち直り、少しづつ生活が楽になり始めたころ、上野さんは高鷲農協(※1)の参事から「うちに入らないか?」と声をかけられた。 「中学校を卒業してからずっと百姓仕事をしていて、農協に入ったのは24歳のとき。数字の読み方から全て、先輩に教えてもらいました」 上野さんは現在の営業(渉外)の役割を担い、お客さんの家を回っていたそうだ。成績は良く、お客さんから可愛がられた。仕事のコツは、人と沢山話をすること。 「お客さんを見かけたら必ず挨拶し、出来る限り話をしました。話をしないと、信頼関係は生まれない。急に共済に入って!とお願いしても、お客さんは怒るでしょう。特に、自分が話すよりもお客さんの話を聞きました。聞き上手は、相手から上手く要望を引き出すんです」 人と人との繋がりは、上野さんをずいぶん助けてくれたそうだ。 「営業成績が伸び悩んだときは『あっちゃん(※2)』のために頑張ろう!とみんなが協力してくれた。すごく嬉しかったですね」 困ったときに助けてくれる人がいたのは、普段から人と人との信頼関係を築いていたおかげだ。 (※1)合併を経て現在はJA大阪南 (※2)上野さんの愛称

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苦労を苦労と思わない

周りに教えてくれる人がいなかったので、農業のイロハは実体験から学んだ。たくさん失敗を重ねて、そこから学んできたという。農協に勤めてからも兼業で農業を続け、色々な方法を試してきたそうだ。 大変なことも多かったはずだが、上野さんは前向きな性格で乗り越えてきた。 「いま振り返ると、無理をしたなと思うけど、若いころは大変だとは思わなかった。苦労を苦労と思わない性格なんです。農作業が大変でも、その後にお茶を飲んでおにぎりと漬物を食べれば、それで幸せになれる」 小さなことに幸せを見いだせれば、人生は楽しい。

休むより働きたい

50代で早期退職してから現在まで、専業農家としてニンジン、ブロッコリーなど、様々な野菜を育てている。農産物直売所「あすかてくるで」羽曳野店にも出荷しており、ほぼ完売の人気ぶりだ。これからの展望を尋ねると、「もっと出荷したい!」と力強く話す。 「股関節を痛めて、いまは自由に農業ができない状態。手術をして足を直し、もっと出荷する野菜を作りたい。じっとして休んでいるのは好きじゃない。仕事をしているほうがいいですね」 戦後を生き抜いてきた上野さん。これからも、まだまだ立ち止れない。

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