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笑顔の実り。vol.059

にしい まさはるさん|69歳

大阪狭山市 東野西 西井 正治さん

農業と福祉の連携

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農業と関わり続ける

幼いころ、西井さんは牛に囲まれて育った。実家が酪農を営んでいたので、多いときは子牛を含め数十頭の牛を飼っていたそうだ。昔は今と違い、子どもは親の仕事を手伝うのが当たり前という時代。西井さんは当然のように、毎日牛の世話をした。 「小学生のころ、親に牧草を刈って来いと言われ、運搬車に乗って取りにいきました。早く終わらせて遊びに行きたかったので、急いで草を刈り、すぐ帰ったんです。すると、家につくころには、重みで草が半分の量に。親にもう一度行けと言われ、がっかりしたことを思い出します」 西井さんの父親は、部会の代表を務めるなど忙しかった。出張で家を空けることが多く、ヨーロッパへ1か月間、視察へ行ったこともある。父親が不在の家は、家族と共に西井さんも守った。朝5時30分に牛の乳をしぼり、7時30分には牛乳を出荷する。牛の様子を見たり、フンの掃除をしたら、夜にもう一度乳をしぼる。面倒だからと放っておくと、乳が張って牛が痛がるのだ。合間には、畑仕事もやらないといけない。毎日必死だった。 「まだ若かったから遊びに行きたいのに、牛の世話をしなきゃいけない。父親はヨーロッパにいるのに、なんで自分は畑にいるんだって、腹が立ちました。でも、待遇に不満はあっても、牛の世話をすること自体は嫌じゃない。元々動物が好きだったこともあり、なんだかんだ言いつつ手伝っていましたね」 大学卒業後、市役所に就職した後も、変わらず家の手伝いは続いた。しかし、周辺の環境が変わり、周りに家が建ち始めると、酪農を続けるのが難しくなってきた。少しづつ規模を縮小し、現在は田畑のみ残している。 「仕事を退職してから父親の農業を手伝い始め、米やキャベツ、ハクサイ、ブロッコリー、オクラなどを栽培しています。収穫した農産物は『あすかてくるで』羽曳野店に出荷していますよ」 酪農から農産物に変わっても、幼いころから変わらず、農業と関わり続けている。

持病との闘い

33歳のとき、職場で働く西井さんの腰に、とつぜん激痛が走った。あまりの痛さに仕事を早退し、病院へ向かうと、1か月寝たきりの生活が待っていた。診断結果はヘルニアだった。 「牧草を運んだり、畑の手入れをするのは腰に大きな負担がかかる。ヘルニアになり、仕事も農業も休まざる得ない状況に追い込まれました」 ベッドで寝ていても、痛くてよく眠れない。処方された薬を飲みながら、症状が和らぐのをひたすら待った。 「なんとか痛みは治まりましたが、ヘルニアは完治しません。45歳の時に再発した時は、3か月仕事を休みました。今は腰をかばいながら、なんとか農業を続けています」 どんなに大変でも畑に通い続けるのは、喜んでくれる人の笑顔を見たいから。西井さんは出荷に適さない農産物は知り合いに配っている。形がいびつでも、味は変わらない。「もらったナスを焼いて食べたら、トロトロで美味しかった」「収穫したばかりだから、とても新鮮」。そんな声を聞くたび、つらい事があっても頑張る力が湧いてくる。

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農福連携で地域を守る

西井さんは、様々な団体の役職を務めている。社会福祉協議会の理事も、その中の一つだ。福祉に関わるようになると、様々な問題が見えるようになった。特に、増え続ける高齢者をどう守っていくかは、地域にとって大きな課題だ。西井さんは、問題の解決に「農業」を利用できないか考えている。 「高齢者の中には農家も多い。後継者がいない家では、一人で農業を続けていくのは難しいでしょう。そこで、そんな人たちの田畑を集約し、農業工場を作れないかと思ったんです。工場形式にすれば、一人ではなく、みんなで助け合いながら農業ができる。毎日顔を合わせるので、家を回らなくても、お互いの変化に気づけ、見守り活動になります」 屋根のある工場なら、天候に左右されず安定した出荷ができる。経験豊かな農家がノウハウを共有すれば、必ず良いものが出来るはずだ。設備投資が必要なので、実現は難しいかもしれないが、挑戦する価値はあると考えている。 「業者と連携し、買い物に行けない方が多い地域に移動販売車で生鮮食品を販売するなど、福祉活動にも参加しています。地域の課題をJAが率先し、みんなで解決していきたいですね」 一人では出来ないことも、みんなが集まって助け合えば実現することが出来るはず。西井さんの思いを実現するためにも、JAが農業や福祉と連携し、地域の未来を守っていきたい。

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